目次

  1. 1949年創業の自動車部品製造会社
  2. 入社から半年後、社長から「DX担当」
  3. 20代後継者が変えた製造現場 AIが5分で生産計画
  4. 「スマホのアプリ」感覚で気軽に利用
  5. DXの背景には 属人化の解消進める風土
  6. 空いた時間で協働ロボットを導入
  7. ものづくりという一番価値の高い作業に時間を注ぐ
1949年に創業したスザキ工業所
1949年に創業したスザキ工業所

 スザキ工業所は1949年に圭一朗さんの曽祖父・鷲﨑清さんが岐阜市で鉄を加工する鷲﨑鉄工所を創業しました。1965年に岐南町に引っ越し、溶接も始めます。1985年には現在の各務原に移転し、スザキ工業所を設立します。2017年には隣接の工場を買収、拡大し現在にいたります。

 現在の社長は圭一朗さんの父・純一さんで10年前に就任しました。

多くの種類の製造を手掛けることから、多くの金型が並んでいる
多くの種類の製造を手掛けることから、多くの金型が並んでいる

 これまでは岐阜車体工業1社の下請けでしたが、純一さんが就任後他の企業とも取引を始めました。新しく仕事を受けるときに切り開いたのは、大手が請けない「多品種少量品」の受注です。

 「一般的に、金属プレスで部品を作る場合、1ロットあたり1万個のものを請け負うと良いと言われています。同じ金型で量産すると生産コストがかからないからです。しかし、現在では車も多くの種類があり、それぞれの車ごとに違う部品が使われています。そこで、多品種少量品の製造が求められるようになり、こうした部品の製造を請け負うことにしました。少量品のため1つ当たりの生産にかかる費用はかかるものの、単価にも反映されます」(圭一朗さん)

 こうして、現在は15社と契約するようになり、溶接とプレスを合わせて1500点 ほど製造するようになりました。事業の拡大に伴い、就任時は年間の売上高が6億円だったところ、2025年には社員数67人で15億円まで伸ばしました。

整頓された社内の様子
整頓された社内の様子

 圭一朗さんは、大学3年生の時に就職活動が始まると「経営者」という選択肢が頭をよぎりました。「母からは後継者だといわれていましたが、父からは継ぐようには言われていませんでした。でも、就職を考えた時にせっかくこのような立場にいるのなら、経営をやってみたいと思いました」

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。